中断していた三十年の時の流れを感じた。そして、
こんなにも甘えが増殖していたことに驚いた。
三十年前の歩き遍路は苦行疑似体験であった。
それが今回、なんと怠惰なお遍路であったことか。
文明の利器を、そして、そのありがたさを享受した。
あの当時、贅沢であった飛行機が気楽に利用できるようになった。
ネットで簡単に予約ができ、カードがあればそのまま搭乗できる。
そして、ありがたいことに値段だって格段に安くなった。
列車利用より安い。夜行バスよりも安い。
空港に降り立つと、予約していたレンタカーが用意されていた。
歩き遍路なら半日がかりの登りも1時間ほどで山頂に到着した。
カーナビがあるから、それに従って行けばよい。
これもありがたい。
二日日は少々反省し、随所で電車を使ったものの、
できるだけ歩くことにした。
八十四番の屋島寺への登りはきつかった。
でもその遍路道はきれいに舗装され整備されていた。
あの昔の、せんろ札をたよりに歩む山道ではない。
夕が近づき、足を引きずり、やっと見つけた遍路宿に
ほっとするという昔の感慨はないけれど、
事前にリザーブしてある宿があるという安心感もいい。
情報を集め、予約が入れられるというネット環境もありがたい。
航空路線の発展、車生活の定着、情報化社会の浸透、
どれをとっても、わたしの旅のあり様を変貌させた。
無理ができない歳になった身には、
この三十年の技術進歩はほんとうにありがたい。
これからも享受させてもらうことになろう。
しかし、考えてみれば、
あの若き日の一徹の遍路旅はなんだったのか。
あえて苦を身にかせる姿勢はなんであったのだろう。
いまや、それは夢のようであり、そのエネルギーもない。
そのことをあらためて感じたことが
今回の遍路から得た最大の収穫なんだろう。
2010/3/23