寺から寺へが十キロなら、それほどの距離ではない。
車を使えば20分ほどの距離だ。
歩いたところで大したことはなかろう。
バスも走っていない。
四十四番から四十五番への行程もそう思った。
四十四番大宝寺を裏手にまわり、旧へんろ道を見つける。
"四十五番岩屋寺へ"との道しるべが立っている。
それにしたがい、小道を入ると、ただちに急な山道に変わる。
行き来する人もいない。それに荒れている。
だがありがたいことに、ほどよい距離に札がぶら下がっている。
"へんろ道"だとか"同行二人"などと書かれている。
それをたよりに進んでいく。
一時間ほど登って若干くだると一般道路に出る。
車が頻繁に走っている。
興ざめだが、ここを行くしかない。
峠をくだると集落に出る。やっと人が住んでいる気配がする。
さらに自動車道を進む。
このままでは歩き遍路の情緒もあったものではない。
と思っていると、右手奥に札みたいなものがささっている。
"へんろ道"と書かれている。
周辺をさがすと、道といえば道のようなものがある。
勘を頼りにその小道を進むと、農道に出る。
再び、旧へんろ道に戻ったようだ。
まわりは収穫を終えた田畑がひろがる。
秋の風情を味わいながら、進む。
しかし、のんびりした気分はここまで。
右手に急な登り坂が待ち構えている。
再び、山に入っていくのだ。
ただし、左手の平らな道を進めば、一般道にでるようだ。
ここは思案のしどころ。
現時刻は3時ちょっと前。2時間半ほど歩いてきたことになる。
休みなしで行っても、岩屋寺到着まで2時間はかかろう。
すれちがう人もなかろう。いっしょに行く人もいない。
秋は日が短い。"やゝ危険かなあ"との気持ちがよぎる。
遍路は修行という意味を持つことを思い出す。
この際、登ることに意義があるのかもしれない。
それにお大師さまもついてきてくれる。
そう考えなおし、旧へんろ道を進むことを選択する。
それは厳しい道だった。
山をまくようにつづく急な坂を登りきる。
気休めの下り坂。いくらかほっとするが、
それを取り返せとばかりに再び急坂。今度はもっときつい。
こんな繰り返しが延々とつづく。
生前、母が旅行で使っていた折りたたみ式の杖を持ってきた。
これが助かった。これを加えて三本足で登る。
お大師さまにおふくろ、そして私と三人で進んでいるようだった。
山深くしるべがたよりのへんろ道
母のつかいし杖も加わる
厳しい息づかいとともに頭のなかから思考が飛び去る。
懺悔の気持ちが純粋に研ぎ澄まされる。
すべての事どもが浄化されていく。
あゝほんとうに来てよかった。
そう思う時間が持てる。
なんとか陽がおちぬまえに岩屋寺の裏山に着くことができた。
名のとおり、岩でおおわれ、山道は石ころだらけだ。
急勾配を下り、本堂と大師堂に着く。
般若心経をとなえ、この日を終える。