しかし、稼ぎがないというのはなんとも心もとない。
働いて得たお金なら、心置きなく使える。
年金は世代間の約束事で成り立つものとはいえ、
人さまからいただくものという感じが強い。
ついつい、払っている側のことを考えてしまう。
そして、申し訳ない気分になる。
決められた収入だけになると、金が出が無性に気になる。
現役時代は頑張ればそれはそれなりの入りがあった。
それがなくなるのだから、飲み会も完璧なルンルン気分とはいかない。
話はかわるが、
おふくろが生きていたときは、
なにかしらの頑張りというか、張りがあった。
子としての務めを担っていた。
自分が先に逝ってはいけないという緊張感もあった。
それがなくなると、なんとも心定まらぬものだ。
有用の身から無用の側に身体ともども移ったようだ。
役立っているという実感がなくなるのはなんとも心もとない。
しかし、そんななかでも、
それはそれなりに生きていくしかないわけだ。
あらためて
誓ふことなき年迎え
それはそれなりにと こころ定めし
2011/1/11