第6章 旅も、それはそれなりに

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先週、奈良に行ってきた。
でかけるきっかけは些細なことだ。

震災の影響で茨城空港の利用者が減っていると聞いた。
神戸へ一日一便ある。早割なら、片道5800円で行ける。
この手軽さが重い腰を押した。

思えば、あれから半世紀になる。

修学旅行は印象的だった。古都に魅せられた。
そして、就職の19才の春、神戸で研修があった。
たった三ヶ月だったが、休みには京都・奈良と出かけた。
おもわぬ発見が待っていて、また、心落ち着いた。

そんな追体験を期待しての旅だった。

しかし、残念、現実はそうは行かぬ。
行く所行く所、整備され、さびれ感がまったくない。
再興された薬師寺の大伽藍、それはそれなりに素晴らしい。
だが、あの地味だが慈愛に満ちあふれた雰囲気が懐かしい。
唐招提寺から薬師寺への道もまた風情が消えた。

イメージどおりの空間に身を置くのはなかなかむずかしい。

寺は整ったというより、ほどほど荒れた感じがよい。
仏さまのまえではせかされることなく手をあわせたい。
木の葉の音、玉石を踏む音、程よい静けさもまたいい。

時代によって旅の味は変わるのかもしれない。

過去に体験した感動はその時代の感動。
再び蘇らそうとしても無理なこと。
そのときそのときの時代とそこに生きる自分とが
反映される感動を味わえればよしとしよう。

最近、旅の楽しみに絵と歌が加わった。

スケッチブックを持っていく。
絵になる視点を求めて歩くのもいいものだ。
薬師寺の遠景を望めるポイントを見つけたときはうれしかった。
人影の少ない大仏殿裏手からの眺めも描いた。
大極殿はうまく描けなかったが、朝の平城京跡はよかった。

宿の帰って、スケッチに色をつける。
翌朝、床のなかで短歌が浮かんでくる。

年かさね いまふたたびの西ノ京
こうしてあるのも
また縁なりけり

立派になった薬師寺だが、東院堂と
そこの聖観音菩薩立像は五十年まえを思い出させる。

華やかな伽藍のすみの古堂に
かわらずおわす菩薩はすゞし

大仏殿をスケッチしながら、
この大仏殿が炎上するという時代、
それはいかがあったかを思う。

あらぶれる時代もありしに
みほとけはいかにあられし
いかにおもひし

そして、いまが重なる。

2011/5/16 - 19

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