第10章 五妙境界楽

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Flash:第10章 五妙境界楽

今年は、源信が著した『往生要集』を読んできた。
そこに、極楽浄土での楽しみを記した部分がある。

第一の楽しみの聖衆来迎楽、つまり、
臨終の際、仏や菩薩が迎えにきてくださることからはじまって、
十つの楽しみが西方浄土にはあるというのだが、
その第四の楽しみが五妙境界楽なのだ。

極楽においては、色・声・香・味・触の五つの感覚が
いかに美しく浄らかですぐれているか、そのことが、
第四の楽しみとしてあげられている。

一切の万物、美を窮め、妙を極めたり。
見るところ、悉くこれ浄妙の色にして、
聞くところ、解脱の声ならざることなし。
香・味・触の境もまたかくの如し。

ひととおり読み終わったのだが、
我が現実との差をひしひしと感じるのだ。
現世にいる身としては仕方ないことではあるが。

・老眼は楽しみを奪う。

読書量がめっきり減った。読むのが疲れる。
昔の本はどうしたことか活字はやたらに小さい。
拡大鏡をあてねば読めない。
新聞もいちいち眼鏡を換えて読むのも面倒。
見出しをながめるだけで終わる。

・見ると聞くとが同時にできない。

字幕を読んでいると、せりふの声が耳に届かない。
読むという感覚でドラマや映画を観てしまう。
一方、聴こうとすると、読むのが手薄になる。
読むだけでは微細な感じが伝わってこない。
受け取る情感が無機質になる。

・聞くに集中していると眠ってしまう。

NHK第二で放送している文化番組がいい。
PCに録音し、プレイヤーで聴いている。
気が散るので、目をつぶり、聞くことに集中する。
集中しているつもりが、いつか眠ってしまう。

・体感が記憶に残らない。

今年の夏も暑かった。しかし、
いまになってみると、あの猛暑感が思い出せない。
暑さの感覚が皮膚にも体にも記憶として残っていない。

・嗅覚の衰えは生の充実感を減ずる。

春には春の香りがあり、夏には夏の香りがあった。
都会にもそれはそれなりの季節の香りがあった。
感じ取る感性が衰えたのか、意欲がなくなったのか。
場の雰囲気を、昔は香りでも感じ取っていたのに。



最後に、西行法師の釈教歌を紹介しておく。

  五妙境界楽

厭ひ出でて無漏の境に入りしより
聞き見ることはさとりにぞなる

俗世を厭い、そこを出て、
煩悩を滅し尽した境界に入ったときから、
聞くこと、見ること、すべてが
これまでとはちがって、
悟りとなってとどいてくる。

2011/9/22

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