北京再訪(3) 囲って守るということ

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Flash:北京再訪 囲って守るということ

万里の長城には、前回は雪のせいでたどりつけなかった。

今回は是非ともと思っていた。
ただ、観光客が押し寄せる八達嶺は避けたい。

連れて行ってくれたのが金山嶺長城であった。

そこは、九千キロにも及ぶ全長城の東端に位置する。
北京から百二十キロ以上も離れ、北京市の先の河北省にある。
来る人もまばらで、快晴のもと、十分に堪能できた。

期待どおり、イメージどおりの眺望に出会えた。

北からの異民族の侵入に備え、長城は建設された。
延々とつづく城壁の急坂を登ったり、下ったり、
それを繰り返し、まだまだ続く城壁にため息をつく。
ふと、こんなことを思った。

確かに、防御としての意味はあるが、

それ以外になにか突き動かすものがなければ、
こんなものはつくらないのではないか。

話は飛ぶが、

滞在中、TVでは繰り返し、
南海(南シナ海)に関した番組が放映されていた。
中国語だから、内容はよくわからないけれど、
南海を囲む国々、そしてなによりも
日本の言動を気にしているようだった。

どこの国でもそうだが、囲って守るということを第一に考える。

自領であることを示そうとする意識が強い。
ここから内側は我がテリトリーだ。一歩なりとも侵してはならぬ。
その意志顕示が万里の長城であったとも考えられる。
領域は絶対堅持するとの意志を巨大な建造物で誇示する。

現代に目をやれば、

東シナ海、台湾沖、南シナ海へと伸びるシーレーンに、
現代の万里の長城をつくろうとしているように思える。
明代の城壁が巨大な空母に姿を変えようとしているだけで、
底に流れる思考は同じようなものに思える。

囲い込むという指向は市街地でも見ることができる。

伝統的家屋である四合院も囲う建築の形態、
現代のマンション群を取り囲む塀もそうだ。
公園にしても壁で囲まれ、出入りは警備された門からだけである。
道路は城壁となって市街地を分割し、孤立したブロックに分離する。

江戸時代における道路はそれとは真逆な考え方だ。

通りは人が行き交う場であり、
道を境界に街を対峙させるのではなく、
通りも含めてひとつの街を構成していた。
通りをはさんで、ともに切磋琢磨し、栄えあった。

海を"江戸時代の通り"のようにできないか。

海を領海で分離するのではなく、
海という通りを共有し、それをはさんで交流し、共存していく。
我が陣地などとは主張しない。城壁など必要としない。

そんな東アジア海世界を思い描いた。

金山嶺長城の城壁から連なる峰々を眺める。
背後の岳山、深い谷あいに目をやる。
万里の長城といえども、この広大な風景になんとちっぽけ。
それはかわいい顕示欲のように思えてきた。

2011/11/7

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