ご夫婦の案内で北京郊外にある植物園に行った。
園内をぬけ、背後の山をハイキングした。
空はあくまで青く、そして、高い。
空気は澄みわたり、風は心地よい。
昔の北京の街にもこんな秋空があったのだろう。
車飽和状態は大規模な空気の汚れを引き起こす。
東京で過って起きた事態を何倍かにしたようなもので、
その範囲は中途半端でない。
都市全体に排ガスの落し蓋がされている。
北京の街を一望したいと、80階の高層ビルに登った。
下界はスモッグがたちこめ、すべてがぼんやり。
市街地の北に建つ鼓楼に登ったときもそうだった。
そこからの眺望は灰色でおおわれていた。
路上では至るところでカーレースが展開される。
車間距離がほとんどない。
そこに車が横から合流する。
ぶつかるように割り込んでくる。
片方は入れまいとする。
それがあうんの呼吸で成り立っている。
車線変更も頻繁だ。
少しでも隙間があれば、左からでも右からでも入り込む。
右折車は割り込み割り込み、右端の車線に移動する。
もうそれは曲芸の領域だ。
一見、荒っぽく見えるこの光景も現代を象徴する。
このアグレッシブさが社会を成立させる。
押しのけても前に出ようとする気迫を感じる。
躊躇してては負けだ。
タクシーは稼ぎに驀進する。
田舎から稼ぎに出てきている者が多いと聞く。
運転手は金を払って車を借り、ガソリン代を自前で負担する。
物価は激しく上昇するが、タクシー料金は据置。
おのずと労働時間を長くせざるを得ない。
運転も荒くなる。
夜の10時を過ぎようとするのに地下鉄は満員だ。
仕事で精気を使いきってしまったのか、
表情が消えた顔の通勤者が無言で家路に向う。
オフィス労働者も疲れている。
発展発展で変貌した都会はうるおいもなくした。
昔の北京の空は顔を出さない。
街路樹の葉も汚れ、疲れている。
そしてなりより、人々は疲れ、不機嫌だ。
でも、なんとか頑張っている。
2011/11/9