パックツアーでスペインへ
Flash:第13章 多少なりとも歴史を
第13章 多少なりとも歴史を

旅の愉しみは帰ったあとにもある。

旅はいろいろなきっかけをつくる。
スペインの歴史をちょっと勉強してみた。

1492年、イスラム最後の王がグラナダを去る。

キリスト教によるイベリア半島回復戦争が完了する。
同じこの年、コロンブスがアメリカ大陸にたどり着く。
この新航路発見を推し進めたのがイサベル王だ。
フェルナンド二世とともにレコンキスタを成し遂げた女王だ。



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イサベル女王が死に、12年後にフェルナンド二世も死ぬ。

両国王の次女であるフアナの、その長男が次の王になる。
それがカルロス一世で、16世紀前半の40年間、君臨する。
この人物、ネーデルランド育ちでスペインにはなじみが薄い。
それがカスティーリャとアラゴンの両王国を継ぐことになる。

カルロス一世は単なるスペインの王だけではない。

ハプスブルク家出身でヨーロッパで冠たる血筋を持つ。
神聖ローマ帝国に皇帝カール五世として在位する。
父方のハプスブルク家からはオーストリア、ベネルクス、フランドル、
現在のフランスの東部などの広大な領地を譲り受ける。
また、母方からはスペインの領土を引き継ぐ。
そのなかにはシシリア、ナポリ王国も含まれる。

さらに領土はヨーロッパの外にも及ぶ。

メキシコのアステカ帝国やインカ帝国と征服を重ねる。
大西洋、太平洋を越え、フィリピンまでをも含む。
その結果、「陽の沈むことなき帝国」と呼ばれる。
そのカルロス一世も戦争などから心労が重なり、退位する。

息子のフェリペ二世に王位を継がせる。

在位期間は16世紀後半の約40年間だ。
今度はスペイン生まれのスペイン育ちだ。
父カルロス一世から多くの領土を引き継ぐ。

 ただし、神聖ローマの帝位とオーストリアの領土は、
カルロス一世の弟、フェルディナンド一世が継承する。
これがウィーンのハプスブルク家になり、
ハプスブルク家はマドリードのハプスブルク家と二家に分かれる。

だが、両家はヨーロッパのなかで優位な立場を保持し続ける。

ウィーンとマドリードとは婚姻によって結びつきを深める。
連携し、ヨーロッパの覇権を維持する。

さすがのスペイン帝国も衰えをみせる。

1588年に帝国が誇る無敵艦隊が敗北する。
1598年にフェリペ二世が没し、息子のフェリペ三世があとを継ぐ。
在位は17世紀初頭の20年間で、帝国の衰えは決定的となる。
オランダの独立、肥大化した経済の停滞、ペストの猛威が帝国を揺るがす。

そして、1621年、フェリペ四世へと引き継がれる。

帝国が衰え始めたころ、芸術・文化は繁栄期を迎える。
政治力、経済力のかげりとともに、皮肉にも、芸術は咲き誇る。
画家ベラスケスが活躍したのも、このフェリペ四世の時代だ。

パックツアーでスペインへ  2012/6/29 記

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