プラド美術館回想 第3章 期待に裏切らなかったプラド
Flash:第3章 期待に裏切らなかったプラド

第3章 期待に裏切らなかったプラド

1773年、27才のゴヤはマドリードに出てくる。

義兄の口利きで王立タピスリー工場の仕事を得る。
タピスリーとは広間や回廊の壁を飾る織物。
その原画(カルトン)を描く職にゴヤはつく。
タピスリーは、皇太子夫妻が住む宮殿を飾られる。
その皇太子がのちのカルロス四世。

たいそう気に入られ、出世の糸口をつかむ。

ゴヤは民衆の日常生活を明るいタッチで描く。
その明るさは絵の世界の話しだ。
現実の民衆は絵のようにおだやかではなく、不満がうっ積していた。
民衆の怒りを沈め、抑える必要に治世者側は迫られていた。
ゴヤの絵は治世者に片時の安心を与えたのであろう。



        Back      Next      トップに戻る
       

ゴヤは成功の基盤を徐々に固めていく。

マドリード中枢の人々に絵を描くことで接近する。
歴史家、経済学者、思想家たちが集まるサロンにももぐり込む。
1788年、ゴヤの絵を気に入ってくれていた皇太子が王位につく。

宮廷画家としての位置を固める。

新王カルロス四世は人はいいが、意志薄弱な人物であった。
国の統治は実質、王妃マリア・ルイーサによって左右される。

スペインは国内外とも厳しい状況下にあり、
そんな中、王妃の後押しで25才のゴドイが首相に就任する。
切迫した危機の回避と社会経済の改革がこの啓蒙改革者に課せられる。

ゴヤも政情不安のなかに身をおく。

1793年、フランスのルイ十六世が処刑される。
スペインと同盟関係にあったフランスブルボン家が崩壊する。
革命の波がスペインへ及ぶ危険性をはらむ。
スペインはフランスと戦闘状態に入る。

フランスの恐怖政治が終わったのをきっかけに、
ゴドイ政府は和平に転じ、再びフランスと同盟関係を結ぶ。
1795年、マドリードにもいっときの平安が訪れる。

プラドにはこのころゴヤによって描かれた作品が並ぶ。

王室を描いた、
 王妃マリア・ルイーサ騎馬像(1799年)
 カルロス四世の家族(1800年〜1801年)

ゴドイにまつわる、
 チンチョン伯爵夫人(1800年)
 裸のマハ(1800年)

ゴヤは人物を奥深くを観察し、その内面をも描き出す。

その絵画表現もさることながら、権力の中枢において
いまや確固たる位置をしとめた自信がみなぎっている。

これらの作品の前に立ち、想像していた以上の感動が押し寄せた。

30年余持ち続けてきた期待は裏切られなかった。


プラド美術館回想  2013/6/28 記

inserted by FC2 system