プラド美術館回想 第7章 ゴヤ「ボルドーのミルク売り娘」
Flash:第7章 ゴヤ「ボルドーのミルク売り娘」

第7章 ゴヤ「ボルドーのミルク売り娘」

1824年5月、ゴヤは治療のためと称して、スペインを離れる。

行き先はフランスのボルドーだ。
ボルドーに3日滞在して、パリに向かう。
9月に再びボルドーに戻る



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2年後の1826年、マドリッドに出向き、引退を願い出る。

許可が下り、再びボルドーでの生活に戻る。
そして、1828年、ゴヤはボルドーの地で一生を終える。

ゴヤは、ボルドーでも数多くの作品を描いている。

プラドにある「ボルドーのミルク売り娘」もそのひとつだ。
民衆の一人の娘を描いた作品なのだが、実に気高い。
それはあたかもゴヤにとってのマリア像なのだと思わせる作品だ。
激変の生涯で最後にたどり着いた安息の境地をそこにみた。

ゴヤは荒れ狂う時代のなかを生きた。

人間の奥深く、深層を絵というもののうえにあぶりだした。
他の画家が手も出さなかった"悲劇"も"残虐さ"も描いた。
自分のなかに潜む"邪悪さ"も"猥雑さ"も直視しつづけた
目をそむけようとはしなかった。

「それでも私は学ぶ」と言い聞かせながら、生きた。

"それでも私は学ぶ"は、ゴヤの版画作品のタイトルにもなっている。
この言葉をかみしめながら、今回のスペイン旅行をとおし、
プラドでゴヤに逢えたのが最良にして最大の喜びと思い入った。


プラド美術館回想 完  2013/11/10 記

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