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熟年からの風景
現代武蔵野の一風景  撮影:2006.12
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縦書き、横書き
 細かい字が見にくくなる。これは覚悟していた。
視界も狭まる。これは思ってもみなかった。
前方しか見えず、横の動きがとらえれない。

 横書き文には慣れてきたが、
1行あたりの文字数が多いとダメだ。
これも視界が狭まったせいであろうか。
 以下に例をあげてみる。
題材は国木田独歩の『武蔵野』にしてみた。
 「武蔵野のおもかげは今わずかに入間郡に残れり」と自分は文政年間にできた地図で見たことがある。そしてその地図に入間郡「小手指原、久米川は古戦場なり太平記元弘三年五月十一日源平小手指原にて戦うこと一日がうちに三十余たび日暮れは平家三里退きて久米川に陣を取る明れば源氏久米川の陣へ押寄せると載せたるはこのあたりなるべし」と書きこんであるのを読んだことがある。
 縦書きで書かれた文を横にするのだから無理がある。
本来の姿に戻してみる。
  注: Internet Explorer 5.5 以降のブラウザをお使いの方は縦書きで表示されるでしょう。Firefox はだめでした。
自分は武蔵野の跡のわずかに残っている処とは定めてこの古戦場あたりではあるまいかと思って、一度行ってみるつもりでいてまだ行かないが実際は今もやはりそのとおりであろうかと危ぶんでいる。ともかく、画や歌でばかり想像している武蔵野をそのおもかげばかりでも見たいものとは自分ばかりの願いではあるまい。
 Webサイトやメールで文章を書くことが多くなった。
そこでは、横書きだ。
そうなると、1行あたりの文字数を少なくするしかない。
すると、こうなる。
 それほどの武蔵野が今ははたしていかがであるか、自分は詳わしくこの問に答えて自分を満足させたいとの望みを起こしたことはじつに一年前の事であって、今はますますこの望みが大きくなってきた。  さてこの望みがはたして自分の力で達せらるるであろうか。自分はできないとはいわぬ。容易でないと信じている、それだけ自分は今の武蔵野に趣味を感じている。たぶん同感の人もすくなからぬことと思う。
 新聞の紙面をみると、横書きはこのスタイルだ。
1行あたりの文字数をかなり抑えている。
読み手にとっても20文字を超えると、つらい。

 ところで、横書きの記事を読んで気づいた。
1センテンスが短い。句読点が多い。

 題材の『武蔵野』をこの現代横書きスタイルで書き換えてみた。
それがつぎの文章、
 秋から冬へかけての自分の見て感じたところを書く。自分の望みの一少部分を果したい。まず自分がかの問に下すべき答は、武蔵野の美。今も昔に劣らずとの一語である。昔の武蔵野は実地見てどんなに美であったことやら。 それは想像にも及ばんほどであったに相違あるまい。が、自分が今見る武蔵野の美しさもまた、かかる誇張的の断案を下さしむるほどに自分を動かす。自分は武蔵野の美といったが、美といわんよりむしろ詩趣といいたい。
 ホームページだと工夫すれば、上記の横2段組みもできる。
しかし、メールでこれを実行するのはたいへん面倒だ。
最近、私が試行しているのが、1行1文と、改行の多用だ。

 『武蔵野』を書き換えて、この方式で打ってみる。
 昔の武蔵野は、萱原のはてなき光景をもって
絶類の美を鳴らしていたようにいい伝えてある。
が、今の武蔵野は林である。
林はじつに今の武蔵野の特色といってもよい。

 すなわち、
木はおもに楢の類いで、
冬はことごとく落葉し、
春は滴るばかりの新緑萌え出ずる。
その変化が秩父嶺以東十数里の野
いっせいに行なわれる。
春夏秋冬を通じ、
霞に雨に、月に風に、
霧に時雨に雪に、緑蔭に紅葉に、
さまざまの光景を呈する。

 その妙は、
ちょっと西国地方また東北の者には
解しかねるのである。
 ネットを介して多くを語る現代人、一般人にとっては、
横書きとの拘束から当分逃れられそうもない。
しかも、それは紙ではなく、液晶画面に表示される。
それなりの工夫が必要であることには違いない。
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