2009年はやゝ趣向を変えて、
歌を織り交ぜながら綴ってまいります。
タイトルも「熟年挽歌」としました。
熟年期総括のつもりで書いていきたいです。
今回はその3回目です。
昨年の一月だったそうだ。まだ50代だったと思う。
肺がんで亡くなったとのこと、つい先だって知った。
過去に二度ほどいっしょに仕事をさせてもらった。
亡くなったことを知って
彼なるうちに分け入れば
かっての苦闘も露になりしか
勤めていた会社を辞め、個人で会社を起こし、
情報関連のコンサルタントとなった。
とは言え、IT業界は個人で活動するのにはむずかしい。
彼も某企業と契約して、その企業の名刺で仕事をしていた。
契約という身はきびしいものがあって、
実績、それも高い評価が得られないと継続の保証がない。
与えられた仕事をただこなしているだけではだめだ。
相手先に有益となる活動をつねに示し続けなければならない。
先方からのプレシャー、独自性のあるアイデア出し、
説得力のある提案づくり、厳しいレスへの対応、などなど。
彼の苦闘する姿が思い浮かぶ。
最近感じるのが、近年のあの高層オフィスビル群だ。
死んだ彼ともそんな高層ビルで打ち合わせをしていた。
なんの違和感もなく、大勢の人々がそのなかで働いている。
オフィスビルをまえにして
うちにては何かしているこのビルも
いまのわれにはすましてさむし
しかし、いま、これらのビルをながめると、
現役時代とはまったく違った感覚におそわれる。
そもそも、仕事で出入りしていたころには
吸い込まれる先など仰ぎみたりはしなかった。
仕事のことで頭も気もいっぱいで、傍観など眼中にない。
それが、いまでは、
外装のガラスさえ、拒絶の光りを放つ。
だが、その光りは、何かが死し、かわって
何かを芽生えだせというようにも感じられる。