熟年挽歌 16.  ありがたきこと

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 ありがたいと感じる時が最近はよくある。

今年の夏も終わった。
年とともに夏がやせていくように感じられる。
今回はそんなやせ細った夏の思い出に代えて、
些細だがありがたいと感じたことを書いてみる。


 ありがたきことその一、早めに入る風呂。

家のまえで延々と道路工事がつづいた。
その騒音と振動は耐えがたいものであった。
そんな夕方、日はまだ高いが、早めに湯船につかる。
夏の終わりの蝉の声を聞きながら、
無性にいまがありがたいと思う。

 その二、集まりのまえのひとり散歩。

先日、暑気ばらいの集まりが新宿であった。
誘い自体もありがたいことだが、それに加えて、
もうひとつ、ありがたい時間が持てる。
早めに家を出る。
はじまりまでには十分、間がある。
そこらあたりをぶらぶらする。
仲間に会うという前提があってのぶらぶら時間。
孤独の継続ではなく、いっときの孤独な自由な時間。
これがたまらなくありがたい。

 その三、趣味からの収入

この年になって見入りがあるのはありがたい。そのうえ、
好きなことで小遣いがもらえるとはありがたい。
趣味ではじめたパソコンいじり、
それが定年後の仕事に結びつくとは思いもしなかった。
仕事となると、それはいろいろ苦労もあるが、
好きなことして、お金がいただけるのはありがたいことだ。


 湯につかると「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」の声がでる。
丁度、いまはこれと同じような心境にいるのだろう。

  バスタブにただよふ空と身をしづめ
  力つきなむ蝉の声を聞く

    南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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