熟年挽歌 19.  十年一昔か

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 今回の熟年挽歌、水の流れをながめつつ

   行く川のわきにやられし濁りさえ
   むかしを偲ぶよすがとならん


 今日はセーターを着込んだ。冬はもうそこだ。
昔のノートPCを持ち出し、炬燵で打っている。

 しかし、月日が経つのが速い。
一年が段々、短くなっていく。

 だが、考えてみると、
67才の一年は全人生の67分の1、
若い頃の20分の1とはかなり差がある。
速く感じるのはそのためかもしれない。

 Windows7が出た。

今度は軽く、立ちあがりも速いようだ。
いまこのメルマガを打っているPC、
買ったのが丁度10年前、Windows98の時代。
Microsoftからの更新や保証サービスも終わり、
徐々に忘れ去られていく定めにある。

この10年、いろいろとOSも変わった。
しかし、使っている側はそれほど変わっていない。
10年前やり始めたことが習慣化しただけだ。
古くなったマシーンもこうしていまでも使えるし、
文章書きなどはこれで十分だ。

 思い返せば、

初めてPCを手にし、ネットにつなぎ、
まだ会ったことのない人たちとメールを交換したときの
感激と戸惑いはいまでも忘れられない。
それがいまや普通になり、生活の一部となっただけ。

2年ぐらい前の出来事のようで、 十年一昔とはいえそうにもない。

 昔と言うならば、せいぜい四半世紀あたりか。

バブルに踊り、バブルが砕け、後処理で停滞し、
小泉構造改革とやらもあった。
IT革命などと騒いだのもつい最近。

この四半世紀、私も迷走の連続だった。
そのなかで、多くのものを得たが、それでいて、
大事なものを失ったような気もする。

確かになにかが変わった。
十年一昔ではなく、四半世紀一昔なんだろう。
これからの四半世紀、どう変わっていくのだろう。
生きて、見届けたいものだ。
しかし、そのときは半世紀一昔になっているかも。

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