この時期になると"喪中につき"の葉書が届く。
これまでの親や義父母の死去とは、
今年は様子が違う。
友人の妻君からであったりするのだ。
また、伴侶を亡くしたというケースもある。
死という急変が我々世代にも忍びよっていることを知る。
年賀状書きの時期になると、この人とはいまや
年賀状だけのつきあいなんだなあと思うことがある。
ここ数年、長いケースになると何十年も会っていない。
働き盛りのころ、若いころの姿しか頭をよぎらない。
ともに生きてたあのころの出来事しか思い浮かばない。
そんな状況のところに"喪中につき"の知らせを受ける。
彼は病魔と戦っていたであろう。
若いころの面影は残ろうが、その顔には
戦いの疲れと忍びよる老いを隠しきれなかったであろう。
しかし、そんな姿は過去の記憶からは想像さえもできない。
薄らぎゆく過去のスクリーンにその壮絶な現実は投影されない。
哀しいといおうか、寂しいといおうか、
過去においてのつきあいでしかなかったことに気づく。
成長の舞台の裏で黙々と
仕事をこなせしあやつは逝ったか