熟年挽歌 21. 喪中につき

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 この時期になると"喪中につき"の葉書が届く。
これまでの親や義父母の死去とは、 今年は様子が違う。

 友人の妻君からであったりするのだ。
また、伴侶を亡くしたというケースもある。
死という急変が我々世代にも忍びよっていることを知る。

 年賀状書きの時期になると、この人とはいまや
年賀状だけのつきあいなんだなあと思うことがある。
ここ数年、長いケースになると何十年も会っていない。

働き盛りのころ、若いころの姿しか頭をよぎらない。
ともに生きてたあのころの出来事しか思い浮かばない。
そんな状況のところに"喪中につき"の知らせを受ける。

 彼は病魔と戦っていたであろう。
若いころの面影は残ろうが、その顔には
戦いの疲れと忍びよる老いを隠しきれなかったであろう。
しかし、そんな姿は過去の記憶からは想像さえもできない。

 薄らぎゆく過去のスクリーンにその壮絶な現実は投影されない。
哀しいといおうか、寂しいといおうか、
過去においてのつきあいでしかなかったことに気づく。

   成長の舞台の裏で黙々と
   仕事をこなせしあやつは逝ったか

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