熟年挽歌 23. 無用なるとも

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 本シリーズ『熟年挽歌』も最終回になった。

  このシリーズを始めたころを思い返す。
  ハッピーがいなくなって、気落ちしていたこともある。
  日々、老いてゆく母を見ていたこともある。
  ひとつの区切りの時が到来していることを感じていた。



 アルバイトではあるが、仕事で出かけることがある。
自転車でいけるところに職場はある。
午後の授業を終え、家に戻る。
ブレーキの音でわかるのだろう。
玄関をあけると、二階にいるはずのハッピーがそこにいた。

  ハッピーになめられた手の感触も薄らいで久しい。

    慣れにしも
    家にもどると聞きつけて
    駆けきてなめし
    あやつはおらず

 母はいわゆる女手一つで子供三人を育てた。

小さな菓子屋をやりながら、針仕事で収入を得ていた。
よく働く女性で晩年まで内職をしていた。

そんな母も九十代後半になると、
気力も体力もさすがに衰えをみせ、
何することない日々を過ごしていた。
さらに、昔から悪かった耳も、術後の眼も弱り、
生活にも支障をきたし始めた。

 「なんの役にも立たないのになんで生きているのか」と

よく口走るようになった。
私にとっては、出かける際の、
「行ってきます」の声掛けができるだけでありがたい。
生きているだけで、少なくとも息子にはありがたい。

しかし、そう思うのはこちらの勝手で、
本人にとっては、なにすることなく、
生きつづけることが苦痛であったかもしれない。

 やるべきことがあり、有用とされ、仕事もあり、
 人に必要とされる時代はだれにでもある。
 しかし、いつかそれは終わり、無用と呼ばれる時代が来る。

私はそのことに押しつぶされぬよう、多分、
懸命に用事を作り、なんとかそれでごまかし、
生きつづけようとするだろう。
でもそれはおのずと限界がある。

 答えはそうではない。
 がむしゃらに鞭打つようなものではないような気がする。

本人たちはどう思おうと、
おふくろやハッピーが、過去においても、いまも、これからも、
私のそばで無用ではなく、存在しつづける。
このことが、無用の時代に向かう私を勇気づける。

  熟年挽歌、最後の一首。

   あの世では仏とともにたのしまれ
   われの山路はあやつの案内で

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