熟年からのインターネット NO.77
自己流メーリング考 序説  湿度と洗練度

 メールはそれぞれ湿度を持ちます。

じとっとしたもの、しっとりしたもの、さらりとした もの、無味乾燥なものと、メールによって湿り気に違 いを感じます。

 メールの湿度はどこから発散されるのでしょう。

  • 1.こころの入れ具合

     事務連絡や、お知らせ、通知の類は大体において、 乾いた感じです。心を入れる必要のない、心とは別の 世界のものです。それに比べて、心情告白の類は高い 湿気で充満します。
  • 2.個人の関わり具合

     企業から届くメールはどうしても「かさかさ」です。
    一般的な事象の報告、社会通念的な記述も、そこに伝 える人の顔が見えてこないと、素っ気ないものです。
    それを自分がどうとらえているのか、どうしたらいい と考えているのかなど個人としての発信があると湿気 が出ます。

ITに関する情報を主にしたメルマガをとっています。 全体的に乾いた感じですが、そのなかに「記者の眼」 というコーナがあります。これは書く人が個人名を出し、 その人の息を伝えています。そこだけ、湿度が高いと いう面白い現象が起きています。


  • 3.新鮮度

     いくら湿り気があるといっても、いつも同じことを 言って来るメールは、段々と鮮度を失い、干からびて きます。最初はよかったのですが、新鮮さの劣化とと もにしっとり感がなくなっていきます。

 乾いたメールが駄目だというわけではありません。
例えば、仕事で取り交わすメールや、単なる連絡メー ルは、かえって乾いたメールのほうがいい場合もあり ます。しかし、それにも感じのいいものと、そうでな いものがあります。

その違いは、多分、
(1)湿度を高める工夫をしているか?
(2)洗練されたメールか?
に因るのだと思います。

味気ない内容のなかに少しでもうるおいを加えようと 努めているメールは受けとってうれしいものです。
伝える内容が同じでも洗練された表現ですと、印象が ガラリと変わります。

 洗練性の影響は、湿気の高い内容において特に顕著 に現われます。内容が内容だけに、ごてごて、だらだ らした表現ですと、せっかくの内容がべったりとした ものになってしまいます。



程よい湿りと洗練された表現が組み合わさったものに 出会うと、それは感動ものです。

 最後にこの洗練度ですが、

  • (1)時間的余裕
  • (2)精神的な遊び
  • (3)思いやりの心
  • (4)表現への努力

から生まれるのだと思いますが、それに加えて

    (5)そのひとの文化度

が決定的な要素でしょう。
これまでに身にたくわえてきた文化的素養が洗練性の ベースになるのだと思います。いまごろ気づいても遅 いですが、若いときからの勉強が大事だったのですね。

そのサンプルをひとつ、あげてみます。

それはメーリングリストへの投稿です。自分の内面から発するメッセージを詩に 託して、メンバーに伝えています。投稿者はトトロさんと おっしゃいます。イントロもなく、即、詩になります。 MLでは、それがなんの違和感も感じず、素直に読み 手に入ってきます。

 神様ってたぶんいるんだ

 でも僕はまだ逢ったことがない
 ここぞという場面に来てくれるって言うけれども
 まだ来てくれたことはない

 でもたぶんいるんだ

 神頼みやお賽銭をしないからってみんなは言うけれど
 それをしたからって絶対来てくれるとはかぎらない

 まだ僕の頑張りがたらないんだ

 自分では懸命に生きているつもりではいるんだけれども
 神様から見たら 「まだまだ」 なんだ
 きっとまだまだ頑張れるんだ

 だからまだ来てはくれないんだ

 よーし 明日はもう少し頑張ってみよう
 もう少し 優しくなってみよう
 もう少し 前へ生きてみよう

 神様って きっと いるんだ

       *トトロでした。



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