熟年からのインターネット NO.83
自己流メーリング考 第二章  2.いつまでいるの?

 先日、送別会に出た。入社同期の男が突然退職した。 やめるに至ったいきさつはいろいろあるようだ。ここ では、「居場所」にからめて私が思うところを書かせ てもらう。

 仕事空間は、無視できない一つの重要な拠り所です。 かなりの時間、そこが「自分の居場所」であったし、 いまもそうです。私にとってこの世界は、職場であり、 会社であり、お客様であり、さらに提供するサービス ・それへの評価など、ひろがりのある空間として対峙 するものです。

その仕事空間での自分の存在が定かでなくなったとき、 仕事から去るか、あるいは、そのままどう残るかを考 えるのでしょう。「定かではない」という心理状態は 「自分の居場所を意識する」ことから始まり、こころ の揺れになり、真の自分の居場所探しへと進んでいく のだと想像しています。

 仕事空間からの離脱は、傍からみれば些細なきっか けで、当人にとっては運命的啓示で、現実の行動とな るのでしょう。

「仕事に向かってこんな態度で臨んでいる自分の姿を 胸を張って息子にみせられるか!」の思いから決意を 固めたと、彼は離脱の理由を話してくれました。 彼は「息子に向かって」と言いますが、私は、彼自身 のなかに浮上した「どうしようもない心細さ、惨めさ、 懐疑」を見てしまうのです。仕事という世界のなかで、 自己の存在への疑いが底からむくむくと頭をもちあげ たとき、何かが彼の背中を押したのだと思うのです。



 組織のなかで立ち振る舞っていかねばならないとき、 「これでいいのか」「そこにおまえは意味ある存在な のか」の問いかけは重くのしかかります。それは心に しのびよる悪魔のささやきのようです。

若いときはがむしゃらに働いていました。自分が存在 しているかどうかなど意識もしませんでした。それが この歳になると、やたらと自分の居場所が気になりだ します。自分はここに居て、それがどういう意味ある ことかと、考え込んでしまうのです。

仕事を中心とする世界のなかにいることに何らの疑い もなくやってきた自分です。会社勤めを始めたのは、 19才の春でした。建ち並ぶ高いビルジィングに圧倒 され、いろんな人がいることに驚き、それは学生時代 には考えられない広い世界でした。

これ以来、ただ懸命にやってきました。仕事は楽しか ったし、達成感も十分味わってきました。しかし、こ れまで自分が対峙してきた、あれほど洋々とした世界 が、いまでは逆に狭い枠のように思えてき、そして、 そのなかに押し込められるような気分になるのです。 「違う世界がそとにあるぞ」という誘惑めいたものが 押し寄せるのです。



 心境の変化が先か、インターネットが先か、定かで はありませんが、インターネット体験が気づきの働き をしてくれたのは確かです。

「それは甘いよ!」「それはうそだよ!」と反芻しな がらも、ネットを介してできる空間に身の寄せ場所を 探してしまうのです。背広が買えず学生服を着て出社 したとき見た世界への驚きと同じものを、スーツを脱 ぎ捨てきれず、いまネットのまえに立つ自分のなかに 感じているのです。

「ネットのなかに自分の居場所などあるはずないよ」 と知りながらも、「その先になにかあるのでは」とい う期待を完全に否定できない私がここに居ます。

 いま思い返せば、友や後輩の幾人かが定職を離れ、 海外へ自分探しや郷土へルーツ探しにと旅立ち、自分 の居場所探しに挑戦していきました。この歳になって、 やっと、自分もその旅人に加わるのかと、いま、不安 と混沌のなかで立ちすくんでいるのです。




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