熟年からのインターネット NO.84
自己流メーリング考 第二章  3.存在感が?

 仕事での存在感が稀薄になってきています。

これが、自分がいる場所がない感覚につながります。 自分の存在に意味づけできず、その場にいることの必 然性が薄らぎ、必要性が感じられなくなってきている のです。つまるところ、人様のお役に立っているとい う実感がわかないのです。

今回はこの「存在感」をテーマにあげ、次章のネット での居場所の話へつなげます。

 ここが自分の居場所と思うのは、そこにおいて自分 が必要とされているとか、いてほしいと望まれている とか、そういった類いの感覚的なものが、私の場合、 元になっています。どこに勤めているか、どこで仕事 をしているかは定かでなかったとしても、少なくとも 仕事をとおしての存在感はこれまでありました。

 ところで、なにをもって、存在を実感するかは、人 それぞれ違いはありますが、おおむね、つぎの3つの 視点から存在感をみることができます。



1.評価

 人から評価されることで自己の存在感をあらためて 確認することはよくあります。評価が自分の居場所を 確かなものにします。その際の評価は自分の居場所と する集団の価値基準にしたがって下されます。集団が かかげる目的に合致した成果を生み出せば、高い評価 が得られます。そして、その高い評価は集団のなかで の確かな存在感を生みます。

ここで特記しておくことは、限定された空間のなかで の存在感である点です。さらにそれは、その集団が持 つ価値基準と自分の価値基準が同じ方向を向いている という前提を必要とします。良かれと判断し行動した 結果が価値基準からそれていた場合、その成果がいか に優れたものであっても高い評価は得られません。ま た、基準に合致した成果なのに評価者によって正しく 評価されない場合もあります。このような事態にたび たび遭遇すると、自分はここにいていいのかと、存在 感にかげりが出てきます。

2.自己充足

 評価が他人からの目であったのに対し、自己充足は、 字のとおり、自分自身のうちから生まれた満足感です。 有森裕子さんが言った「自分で自分をほめてやりたい」 です。あの42.195キロがまさに彼女にとっての 自分の居場所であり、そこにおいて確固として存在し たのです。

自己充足感は生半可な気分では味わえないもののよう です。高い目標を自らに意志でかかげ、日々の精進と 悔いのない行動によってもたらされるものです。日々 の努力によって、あらためて目標達成への大きな壁の 存在を実感し、その壁を乗り越えたとき(目標は達せ なかったとしても)、はじめて自己充足を感じるので しょう。残念ながら、いいえ、当然ながら、このよう な充足感は感じた経験は私にはありません。



3.感謝

 凡人の私としては、自己内部の観念の世界で生きる のは苦手とし、自己は相手あっての自分と考えてしま うのです。短絡的に言えば、自分ひとりの世界はあり 得ないのです。

さて、集団のなかでの評価を気にしないといえば嘘に なりますが、あまり重きを置かずにやってきました。 私の存在感は「感謝」から生まれました。感謝は通常、 一対一の関係で交わされる心の流れです。ありがたい という気持ちが流れて往き、流れてくるものだと思っ ています。仕事をとおしての存在感もお客様の感謝の 気持ちで生まれ、そのような仕事をさせてくれたお客 様への感謝の気持ちで成立していました。

現在、自分がかかえる居場所不明の悩みは多分、この 感謝の交流が脆弱になったためでしょう。さらに突き 詰めれば、それは、お客様のお役に立つ状況を見つけ 出せない、つくることができない事態が背景にあるの でしょう。

 三回にわたって、メーリング考からはかけ離れたこ とを書いてしまい恐縮しています。ただ、このような 現況のもとで、旧来型の実生活空間と対峙する存在と してのバーチャル空間、具体的にはネット空間を自己 流に考えていきたかったのです。




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