ネット世界においても、生活の場と同様、自分の居場
所というものを私は意識します。
「自分がここにいていいのか」「居場所があるのか」と
問いかけています。
自分の居場所を確認するひとつの方法として、「どう
評価されているか」があります。私はかなり評価という
ものを気にしているのです。他者からの評価を居場所探
しの一つの拠り所にしています。ネットの世界であって
も、ひとの目というものは気にしています。
ところで評価となると、なんらかの基準なり、尺度が
あるはずです。たとえば会社における評価基準は、それ
ぞれ差はありますが、おおよそ次のようになるでしょう。
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どれだけ収益に貢献したか?
ずばり「どんだけ稼いだか」です。売上、利益、
コストダウン、商品/サービスの開発へどれほど
貢献したかで評価されます。
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どれだけお客様に満足していただいたか?
ただ稼げばいいというわけではなく、提供した商
品/サ−ビスに満足してもらうことが大事です。
実際のところは、この顧客満足度の測定はむずか
しく、満足していただければ売上が上がると短絡
的に結びつけて評価しまうケースが多いのですが。
いずれにせよ、お客様の評判が良ければ評価も高
くなります。
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能力向上に向けどれだけ活動したか?
部下の育成、働きやすい職場づくりなどが評価の
対象になります。
会社の評価では、高い評価が得られれば給料も増え、
地位もあがるのが通常です。そうでなくとも、高い評価
で居場所は確かなものとなります。
さて、これらの評価基準をネットの世界にそのまま持
ってくることは当然できません。わかりきった事ですが、
それはつぎの理由によります。
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会社や社会一般では経済性を評価の基軸とします。
経済的貢献の尺度はネットではあまり重要視されません。
ネットを使っての金儲けが高い評価に必ずしも結びつか
ないのがその例です。ネットの世界では、金銭のことは
避け気味で、かえって蔑む傾向にあります。無償の行為
が高い評価を得ています。
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これまでの評価は、自分が所属する組織から見ての
評価です。
世界と自分との間には会社や団体などの組織が入りこん
でいます。評価もあくまで組織としての評価が中心です。
その点、ネットは一個人が直接、世界に対します。また、
対する世界も組織ではなく、ひとり、ひとりの人間です。
肩書きも背負わず、組織を代表する顔もせず、ひとりの
人間として対する世界です。
ネットは「どこどこに勤める誰々です」とか「自治会の
役員です」とか「何々ちゃんのお母さんです」といった
フィルターを介せずに他者と生身で向き合う空間です。
組織や団体や家族の一員としての評価ではないのです。
そうなってきますと、ネット世界にはネットなりの評価
基準があると考えられます。ネットでの評価基準はそれ
こそ個人ごとに異なるでしょうが、何かを各自が持って
いるのではないでしょうか。意識するかしないかは別に
して、ネット参加者は各人、それぞれの評価基準で相手
を評価し、さらに自分自身を評価しているのだと、私は
思っています。
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