熟年からのインターネット NO.88
自己流メーリング考 第三章  3.自己評価

「よく書く事があるわね!」とか、
「会ったこともないのによく書けるわね」とか、
言われながらも、このメルマガだって88回を重ねて しまいました。数的には、第一の評価ポイントである 「情報の発信」はクリアでしょう。
ただし、質的レベルは不問という条件付きですが。 読まれる方に実利的貢献をしたかというと、それは 駄目でしょう。

 さて、情報発信の自己評価はよしとしても、問題は、 2の「情報へのレスポンス」です。これが正直いって むずかしいです。相手の、真に発したいメッセージを 的確にとらえるには感性というか、それなりの能力を 必要とします。それが備わっているか、二年間の経験 で養われたかどうかは疑問です。

先だって、メーリングリストを去るひとが出ました。 それまでの投稿のなかからシグナルを感じとっておか なければならなかったのです。感じとって何ができた かは別にして(感じとるまでは至らなくとも)発信を 真摯に受けとめるということが大事だと思っています。 反省を含めて補足しておきますと、ついつい出すほう に夢中になって、読むというもう一方の基本的な行動 が手薄になっているのです。

 それはさておき、受けた後の行為、つまり投げ返す こと、返信することもなかなかむずかしいことです。
話を発展させる対応が求められます。あらたなものが 加われば最高です。そういう面での自己評価はまだま だといった感じです。

メール交換のなかで驚くようなドラスティックな展開 は起こり難いですが、メッセージの行き来が全体から 見ればひとつの流れとなり、それが何か新しい世界を 生み出せれば素晴らしいことだと思っています。


 私の描く姿は、多分、連歌が織りなす世界のような ものでしょう。このメルマガを西行メルマガと混同し ていませんが、最後に、西行と彼の歌仲間で交わされ た歌を紹介して終えます。私の思い描く世界が垣間見 られればうれしいです。

 西行たちがある日、これまた歌の仲間である西住・ 寂然が籠っている太秦に集まり、語り合ったり、歌を 詠み合います。

有明という題が出て、西行がこんな歌を詠みます。

  今宵こそ心の隈は知られぬれ

      入らで明けぬる月を眺めて

太秦の山寺で久しぶりにみなが集まって交流が始まり ました。夜っぴて語り明かすのでしょう。
西行が「月が入らぬうちに夜が明ける。そんな有明の 月を眺めて、今宵はよく語らい、心の奥の奥まで今宵 は知ることになるでしょう。さあ、多いに語り、詠い ましょう。」と、口火をきります。

語ったり、連歌をやったりします。時期は秋で肌寒い ころです。寂然が西行のところに寄ってきて、西行と 背中をあわせ、座りこむ行動を起こします。そこで、 西行はそれを連歌にします。(上の句を詠います。)

  思ふにもうしろあはせになりにけり

「思うにも後合わせになってしまったなあ」と、発信 します。それを受けた仲間たちはどう応えるか迷いま す。自分のこころをこの句にどうつけるかむずかしい ところです。西行は心を詠うことでは一目も二目も置 かれていました。「この連歌には西行さん以外に付け られない」とみなが言います。そこで西行は自ら下句 を付けます。

  裏返りつる人の心は

西行はここでフェイントをかけたのです。みなは西行 が西行のいまの心境を詠うものと期待していました。 それをひっくり返して(裏返して)恋の歌にしてしま ったのです。「裏返ってしまったあの人の心を思うと、 お互い、後合わせになってしまったのだなあ」と、歌 を仕上げたのです。

それがきっかけで、恋の話しが盛りあがったかもしれ ません。そして語り合いは後の世の話に展開します。 みながそれぞれ後世を語ります。仲間のひとりである 静空が「みなさんのように修行の道(仏道)に入りま したが、思うようにはなりません」と語り、詠います。

  人まねの熊野詣でのわが身かな

「修行のつもりで熊野にまいりますが、人が行くから それをまねして熊野に詣でるような自分なのですよ」 と言うのです。自信が揺らぐ、そんな静空に西行は次 の句をつけます。

  そりといはるる名ばかりはして

「そり」は剃りで、剃髪した僧侶のことを指します。 「出家して僧といわれるのは名ばかりで、人のまねを して熊野詣をしている私です」と一首を完成させます。

ところで、なんでここに「そり」という場違いな感じ のする言葉を持ってきたかです。これからは私の推察 ですが、西行の仲間たちはこの「そり」を刀のそりと も採ったのではないでしょうか。ちなみに「そりが合 わない」は刀の反りとさやがあわないからきています。 そこでその場では「そり」->「刀」->「武士」と連想 が続いたのかもしれません。そうしますと、この歌は つぎのように変わります。

「武士も髪を剃り出家した者もいますが、それは名ば かり、人まねで熊野詣をしていますよ」となり、 「静空、そんなに考えなさんな」と西行独特のやさし さの表現になります。そのころ頭を剃った武士といえ ば、平清盛です。髪を落としたのですが、厳然と政治 の中心人物です。この清盛を暗に指したとはいいませ んが、西行ならではの風刺、ユーモアであり、それで 静空の心を軽くしたのかもしれません。

 話しを西行たちの語らいに戻しましょう。仲間たち が西住・寂然のところに集まった頃は雨が降っていま した。檜笠や蓑を着てやってきたのです。それが勾欄 に掛けてあるのを見た西住がつぎの句を詠みます。

  檜笠着るみのありさまぞあはれなる

「檜笠着るみの」は「檜笠着る身の」ですが、この 「みの」は「蓑」にかけています。「勾欄に掛けてあ る檜笠と蓑があわれである」と情景描写と、「檜笠や 蓑まで身につけて来てくれた仲間たちがあわれ」との 心情描写が入り混じった問いかけの歌です。 それに西行はつぎの連歌をつけます。

  あめしづくとも泣きぬばかりに

「その檜笠や蓑から雨の雫が落ちている」と情景を詠 ったあと、それがみなの涙のようだと、人の泣く姿に 転化させています。「あはれなる」を「泣きぬばかり」 と受けとめることで情景を世俗化させ、つまり、人間 的表現である「泣く」を使って、「あはれ」の世界を 一度、俗界に戻しています。語らいは人間の心を遊ば せることです。楽しい語らいのあと、再び、自分の庵 にもどり、ひとり仏道修行をつづけるのです。西住が 言わんとした意図を西行なりに詠い込んだのです。

 さて明けにければ、各々山寺へ帰りけるに、
 後会いつとしらずと申す題、寂然いだして
 詠みけるに

寂然はとどまる人、他のみんなそれぞれの居場所に戻 っていきます。またいつ会えるでしょうと別れの歌が 寂然から最後に出ます。

  帰りゆくもとどまる人も思ふらむ

     又逢ふことのさだめなの世や


 背中合せの体感はないにしても、ネット上でこんな 交流ができたとき、自己評価に合格点が出るでしょう。




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