熟年からのインターネット NO.89
自己流メーリング考 第四章 徒然草とネット 

 1.第三十六段とメール交際

 吉田兼好の「徒然草」をとりあげてみます。
高校時代に読んで(=勉強させられた)以来、本当に 久しぶりに手にしました。

 「 久しく訪れぬころ、いかばかり恨むらむと、

「しばらくある女性のところを訪れないでいたころ、 相手はさぞかし自分の薄情を恨んでいるだろうと、

  わが怠り思ひ知られて、言の葉なき心ちするに、   女の方より、「仕丁やある。ひとり」など言ひ   おこせたる、

出向かない自分の怠慢がよくわかるだけに、弁解の余 地がない、何の言葉も出ないでいると、女性のほうか ら「下働きをしてくれる男はいませんか、ひとり要り ようなのです。寄越してくれません。」といってきた、

  ありがたくうれし。さる心ざましたる人ぞよき」  と人の申し侍りし、さもあるべきことなり。

このように言って寄越すのは、誰にでもできることで なく、実にうれしい。このような気性、性格の女性と いうのがいいなあ」と、あるお方が申しましたが、 本当にそうにちがいないですね。

 男のほうは、しばらくご無沙汰していて、悪い悪い と思いながらも訪ねていない。ほかに好きな人がいた り、いろいろなことが重なって行かれないのかもしれ ない。しかしそれを自省している。一方、女性のほう でも、どうもこのごろあの人はわたしに秋風が立って いるのではないでしょうかと思い、少し恨めしい気持 を抱いている。

その気持ちをストレートに出したら、それでおしまい になることは、その女性には分っている。相手は悪い 悪いと思いながらもいろいろ事情があって来られない のであろうといいほうにとり、恨みつらみを表に出さ ずにおさえる。相手の男にばつの悪さを感じさせない ような誘いを出す。ご無沙汰の解消のきっかけとなる ような機会をつくってあげる。
このような「心ざましたる人」が、ほんとうに賢いの だと、兼好はいう。


 時代が変わり、ところもネットいう不確かな場に移 っても通ずるところがありました。徒然草に新鮮な驚 きをもちました。

ご無沙汰してしまっているときの悪い悪いという気持。 出るにうまいきっかけが起きないかと待つ気分。投稿 が途絶えてしまった人に再登場を願うむずかしさ。

 中世に書かれた短い文から、あれやこれや考えてし まいました。最近、このメルマガもいろいろこねくり 返す傾向を強めていました。少し気分を変えて今週は 書きました。




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