自己流メーリング考 第四章 徒然草とネット 2.第三十一段とメールの作法 |
前回にひきつづき、吉田兼好の「徒然草」をとりあ げます。時期はずれですが「雪の面白う降りたりし朝」 で始まる第三十一段です。 「雪の面白う降りたりし朝、人のがり言ふべきこと ありて、文をやるとて、雪のこと何とも言はざりし 返り事に、「この雪いかが見る」と、一筆のせ給は ぬほどのひがひがしからむ人の仰せらるること、聞 き入るべきかは。返すがへすくちをしきみ心なり」 と言ひたりしこそ、をかしかりしか。 今はなき人なれば、かばかりのことも忘れがたし。」
雪が降った朝、ある人のもとに手紙を出した。手紙
は用件だけをぶっつけに書いたものだった。そうした
ら、それに対する返事がきた。「この雪をいかが見る
と一言もお書きになっていらっしゃないですか。そん
な無粋な方のおっしゃることを、どうして聞き入れる
ことができましょう。どう考えても、情けない心をお
持ちでいらっしゃいますね」と言ってよこした。これ
には、いかにも「をかし」(*)と感じられた。
兼好も現代人のような振る舞いをしたのですね。 本題に即、入っていく手紙を書いたわけですから。 それで「ひがひがしからむ人」と呼ばれてしまった。 上では「無粋な人」と訳しましたが、「ひがひがし」 は「ひねくれている」「率直でない」「情緒を解さな い」という意味です。 メールでは、「時候の挨拶なんて、要らないのだ」と いう人もいます。確かに実用一点張りの傾向が強いです。 「短く、コンパクトに」が主流です。手紙のように書き 出しに苦労することなく、すぐに用件に入れます。これ は、私の性分には合っています。しかし、乾いたメール だけだと、「ひがひがしからむ人」と呼ばれてしまうの でしょうね。 メーリングリストのメンバーは全国に点在します。 さりげなく、時候の便りが挿入されているメールを受け ると、こころがなごみます。北と南と、日本は広いんだ なあと感じます。季節の移り変わりをここにいながらに 味わうことができます。四季をめで、山河を愛する日本 のこころはネットにおいても伝えていきたいものだと、 自分の無粋はさておき、望んでしまう私です。 |
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