熟年からのインターネット NO.76
自己流メーリング考 序説  ネットと生の相乗作用

ネット交流と対面交流(:実際に会うこと)との関係 にはいくつかのパターンがあるでしょう。

  1. 生の交流にネットの交流が加わるケース
    サークルでの仲間や、いっしょに仕事をする者 同士がネットを使っても情報を交換するケース です。
  2. ネットでの交流が実際に会う交際に深まるケース
    ネットで知り合い、そして形成された仲間が オフ会などを介して実際に出会い、語り合い、 交流するケースです。
  3. ネット上でのつきあいにとどまるケース
    ネットでの語らいに終始し、実際には会うこと はないケースです。

 これら3つのパターンをもう少し分析してみます。

1の実際に会っている仲間がネットを利用するケース では、情報の伝達と共有化の面でネットは威力を発揮 します。ここではネットは連絡手段としての意味が大 きいです。

しかし、この1のパターンではあくまで、生の交流が メインであって、それをスムースに進ませる手段とし てネットが貢献します。また、そこで取り交わされる 情報も乾湿性でいえば乾いた感じの情報の交換です。 私の場合、知った者に、それもネット上で心情を表現 するのは一種の照れもあって、それはなく、事務的な スタイルに終始してしまいます。



学生時代の友達など、過去のある時期、頻繁に会って いた者とネットで交流するのをこの1のパターンに入 れるかは迷うところです。そこではネットが連絡手段 というよりは交流の再開起因的要素を強く持ちます。 しかし、一時期、対面交流であったものがネット交流 に姿を変えるケースに、私の場合、出会っていません。 ひとつはきっかけがなかなか生じないためでしょう。 2年連続して賀状にメールアドレスを書いていますが、 ネットでの交流再開には至りませんし、アドレスを記 した賀状も来ません。

この交流再開型パターンに出くわさないもうひとつの 要因は、各自を取り巻く環境が大きく変化したにもか かわらず、それへの理解が薄く、昔のままの友だとい う安心感がベースに流れることです。あえていえば、 私はこれを苦手とし、現在進行形のつきあいが好きな のです。ネット交際の緊張感が好きです。

 2のネット交際が対面交際に発展するケースですが、 それにはいくつかの前提条件が必要です。

  • 1)距離的、時間的なハンディが克服できる。
  • 2)相手がどういう人かが自分なりにイメージできる。
  • 3)会うことによる危険性を感じない。
  • 4)会うことで得るものがあると期待できる。
  • 5)ネット上である程度、お互いに共鳴できている。

ネットで交流していた者同士が実際に会うと、何年も 前からつきあっていたような、旧知の友みたいに感じ ます。これは不思議なことですが、これがネットの最 大の効用でしよう。ここにおいて、ネットと生の相乗 作用が現われます。ネット誘導型交際ならではの醍醐 味です。



 しかし、2のパターンに発展せず、3のネットだけ の交際を維持するケースが圧倒的に多いでしょう。

情報を得るという目的が強い場合、この3のパターン におちつく傾向にあります。いわゆる勉強させてもら う、楽しませてもらうという意味合いです。情報取得 を主とする目的とし、実際に会うまでの必要性を感じ ないのです。なお、ここでいう情報は、知識のみでは なく、癒しとか、遊びとか、広義の意味です。

このパターン3では、いろいろなものが得られること がネットの効用です。また、普段の自分でない自分に なれることや、相手がどのような人かを想像すること も、楽しみのひとつです。

さてパターン3から2になぜ進まないかを考えたとき、 つぎの要因が浮かびます。

  • 1)会う必要がない。ネットで得る情報で十分である。
  • 2)会うことでお互いのイメージを壊したくない。
  • 3)ネットだからこそ話せるのであって、面と向かっ ては話しにくい。
  • 4)それぞれの精神的空間や生活圏があまりに離れて おり、ダブル部分がない。
  • 5)ネット世界に徹することに意義があると考える。

補足しますと、私は上記5)の観点に興味を覚えてい ます。実際に会わず、文字という記号化されたメッセ ージだけで人と人がどこまで関係をつくれ、どこまで そしてどのように理解が深まるかを見てみたい気持ち です。つまるところ、ネットと生の相乗作用がないと ころでのネットの限界を見届けたいのです。




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