熟年からのインターネット NO.85
自己流メーリング考  小休止

ハッピー

 今回はお休みをいただいて、 それこそつれづれなるままに書かせてもらいます。 久しぶりの原稿なしの「なま打ち」です。


  ノリ

 若い世代の人と仕事をしていると、「こんなノリで いきましょう!」との発言を耳にする。若い者は若い なりに立ち向かって課題の困難さを感じ取り、それを 乗り越えるための手法として「ノリ」をもってくる。 「ノリ」とは微妙な感覚で、ある種の軽さ的要素が軸 にある。勢いで乗り越えていこうとする気分がある。 底にあるよどみとか、むずかしさとかに身を沈ませた くないという気持ちがそこにはある。

 私には縁遠いと思っていたこの感覚が、メルマガを 書くとき、あったことに気づいた。ノリがいいときも あれば、わるいときもある。今週は悪い方にあたる。 そんなこともあって、このメルマガも着手が遅れた。 それが何であるかは現時点でわからないが、私のここ ろの底によどむ何かが私のスカートを踏んでいるので あろう。


 西行

 メルマガはこの熟年ともう一つ「西行学習ノート」 を出している。西行の学習は西行に関する各種の論文 や著作を読み、考えたことを記すことで成立している。 西行メルマガで「隠遁の思想」と題したセッションが いまつづいている。 本 前セッションの「西行の風景」も 重たかったが、今回もかなり考えながら書いている。 「世俗世界」「辺境世界」「原郷世界」のいずれにも とどまることのなかった西行の生き方を考えている。 西行の学習は自分を見つめなおす旅でもある。自分に 射影しながら進めている。

 定年とは、世俗世界から辺境世界へ踏み出すことの ように自分には思える。西行は隠遁したが、必ずしも 世俗を捨てきれたわけではなく、世俗と辺境を行き来 することで本来の自分の居場所である原郷世界を見出 したと私は理解している。定年になったからといって、 まったくの隠遁生活になるわけでもなく(当然、その ようなことは成立せず)、これまでのしがらみを引き ずり、経済的糧も得て行かねばならない。しかし、そ こにはこれまでと違う風景が見えてくる予感がする。 いまの自分の状況は、世俗世界と辺境世界との絶間を 覗き見る心境にいる。


 土おこし

 家のまえが空き地になっている。小山であるが山が 迫っている。家屋が建てられない。夏草が生い茂り、 秋はススキの原っぱと化す。初冬に刈り込みにくる業 者さんから「春のうちに刈っておくといいよ」といわ れた。

畑  土が凍る冬が終え、今年は思いきって掘り起こすこ とにした。 やってみるとこれがたいへんな作業である。 よくよく考えてみれば、2Mはゆうに越えるススキで ある。その根はそれを支えるだけの強さがある。

土おこしの作業を黙々とやっている。疲れるが爽快感 にもつつまれる。今日もこれからその運動が始まる。 10時半からは「漢詩への誘い」の時間である。そこで コーヒーを飲みながら一休み。こんな生活をミニ体験 すると「晴耕雨読」といういい言葉をいただいた気分 になる。近未来的な自分の姿をそこに見たい。




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