今回はお休みをいただいて、
それこそつれづれなるままに書かせてもらいます。
久しぶりの原稿なしの「なま打ち」です。
ノリ
若い世代の人と仕事をしていると、「こんなノリで
いきましょう!」との発言を耳にする。若い者は若い
なりに立ち向かって課題の困難さを感じ取り、それを
乗り越えるための手法として「ノリ」をもってくる。
「ノリ」とは微妙な感覚で、ある種の軽さ的要素が軸
にある。勢いで乗り越えていこうとする気分がある。
底にあるよどみとか、むずかしさとかに身を沈ませた
くないという気持ちがそこにはある。
私には縁遠いと思っていたこの感覚が、メルマガを
書くとき、あったことに気づいた。ノリがいいときも
あれば、わるいときもある。今週は悪い方にあたる。
そんなこともあって、このメルマガも着手が遅れた。
それが何であるかは現時点でわからないが、私のここ
ろの底によどむ何かが私のスカートを踏んでいるので
あろう。
西行
メルマガはこの熟年ともう一つ「西行学習ノート」
を出している。西行の学習は西行に関する各種の論文
や著作を読み、考えたことを記すことで成立している。
西行メルマガで「隠遁の思想」と題したセッションが
いまつづいている。
前セッションの「西行の風景」も
重たかったが、今回もかなり考えながら書いている。
「世俗世界」「辺境世界」「原郷世界」のいずれにも
とどまることのなかった西行の生き方を考えている。
西行の学習は自分を見つめなおす旅でもある。自分に
射影しながら進めている。
定年とは、世俗世界から辺境世界へ踏み出すことの
ように自分には思える。西行は隠遁したが、必ずしも
世俗を捨てきれたわけではなく、世俗と辺境を行き来
することで本来の自分の居場所である原郷世界を見出
したと私は理解している。定年になったからといって、
まったくの隠遁生活になるわけでもなく(当然、その
ようなことは成立せず)、これまでのしがらみを引き
ずり、経済的糧も得て行かねばならない。しかし、そ
こにはこれまでと違う風景が見えてくる予感がする。
いまの自分の状況は、世俗世界と辺境世界との絶間を
覗き見る心境にいる。
土おこし
家のまえが空き地になっている。小山であるが山が
迫っている。家屋が建てられない。夏草が生い茂り、
秋はススキの原っぱと化す。初冬に刈り込みにくる業
者さんから「春のうちに刈っておくといいよ」といわ
れた。
土が凍る冬が終え、今年は思いきって掘り起こすこ
とにした。
やってみるとこれがたいへんな作業である。
よくよく考えてみれば、2Mはゆうに越えるススキで
ある。その根はそれを支えるだけの強さがある。
土おこしの作業を黙々とやっている。疲れるが爽快感
にもつつまれる。今日もこれからその運動が始まる。
10時半からは「漢詩への誘い」の時間である。そこで
コーヒーを飲みながら一休み。こんな生活をミニ体験
すると「晴耕雨読」といういい言葉をいただいた気分
になる。近未来的な自分の姿をそこに見たい。
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