ところで、私のほうは、
通夜、葬儀、初七日、四十九日、彼岸法要、そして先だっての
父の五十回忌と、ここしばらく、経を聞く機会がつづいた。
だが、聴いていても何をいっているのかわからない。
そこでただ聞くだけでは物足りなく、ここは少しは勉強しようと思った。
折よく、今年の西行学習のテーマが山家集の釈教歌になった。
読み進めてきた山家集の巻が釈教歌の歌群に突入したのだ。
釈教歌とは仏の教えを和歌で詠んだものだ。
西行歌に法華経を詠った釈教歌がある。
いま、法華経を一章づづ読み進めている。
先入観にはなるが、
お経というのは哲学書のようなものとこれまで思っていた。
たとえば、お経といえば浮かんでくる般若心経の『色即是空』、
色とはなにか、なぜに色が空なのかなどを論じたものと思っていた。
それが想像していたものとまったく違う。
結論、つまり、到達点のことを述べるだけで、
そこにどのようにして至ったかの説明がない。
仏の智慧の素晴らしさ、ありがたさがこれでもかこれでもかと語るが、
いかにしたら悟りの境地へ到達できるかの記載が飛んでいる。
このことは、これまで読んできた書物と根本的に違う。
折々に挿入されるたとえ話も物語としての意味はわかるが、
それがどうなのかがわからない。つまり、理で詰めてこないのだ。
戸惑いながらも、まだ読み始めたばかりだから、
このまま進んでみようと思っている。
これまで学んだことのない世界を垣間見するだけでもいいだろう。
春来ぬとTVさわぐも ひえびえと
母おらぬいま けふも経よむ
2010/4/3