第3章 お経

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 仕事一途であった男が知り合いにいる。
 独立して長らく事業をしていたが、最近、リタイアした。

本が好きで、国際政治・経済小説、それにビジネス物が主だった。
それが最近、本棚の一画を仏教関連の書籍が占める。
また、ある寺で曼陀羅図が公開されていると聞くと、
わざわざ出向くといった変わり様だ。

なにがそうさせているかはわからないが、
両親の他界がきっかけになったのではと想像する。
現世から消えるということを介して、
親が子になにかを伝えたのではないかと思っている。

 ところで、私のほうは、

通夜、葬儀、初七日、四十九日、彼岸法要、そして先だっての
父の五十回忌と、ここしばらく、経を聞く機会がつづいた。
だが、聴いていても何をいっているのかわからない。
そこでただ聞くだけでは物足りなく、ここは少しは勉強しようと思った。

 折よく、今年の西行学習のテーマが山家集の釈教歌になった。

読み進めてきた山家集の巻が釈教歌の歌群に突入したのだ。
釈教歌とは仏の教えを和歌で詠んだものだ。
西行歌に法華経を詠った釈教歌がある。
いま、法華経を一章づづ読み進めている。

 先入観にはなるが、
 お経というのは哲学書のようなものとこれまで思っていた。

たとえば、お経といえば浮かんでくる般若心経の『色即是空』、
色とはなにか、なぜに色が空なのかなどを論じたものと思っていた。

 それが想像していたものとまったく違う。

結論、つまり、到達点のことを述べるだけで、
そこにどのようにして至ったかの説明がない。
仏の智慧の素晴らしさ、ありがたさがこれでもかこれでもかと語るが、
いかにしたら悟りの境地へ到達できるかの記載が飛んでいる。

 このことは、これまで読んできた書物と根本的に違う。

折々に挿入されるたとえ話も物語としての意味はわかるが、
それがどうなのかがわからない。つまり、理で詰めてこないのだ。

 戸惑いながらも、まだ読み始めたばかりだから、
 このまま進んでみようと思っている。
 これまで学んだことのない世界を垣間見するだけでもいいだろう。


  春来ぬとTVさわぐも ひえびえと
  母おらぬいま けふも経よむ

2010/4/3
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